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答え合わせ ラマチャンドランの『脳の中の幽霊』

 ラマチャンドランの『脳の中の幽霊』を、最後まで読みました。

V・S・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー、(訳)山下篤子(1999). 『脳のなかの幽霊』角川書店
脳のなかの幽霊 V・S・ラマチャンドラン:一般書 | KADOKAWA


 昔読んだとき、後半はよくわからないなと思ったものですが、わからなかった理由がわかりました。本人の、「この病状はこう」というような、予想がないからです。代わりに、あまりなじみのない哲学や文学を出してきます。わからないわけです(^^;

 そういうわけで、前半部分から鏡の反転として興味深いことを挙げます。


「二つの感覚の同時発生」
p.81
鏡箱はバーチャルリアリティとして作られました。敢えて、誰でも左右反転に見えやすい配置にしてあります。「手を動かせ」という脳の指令に、視覚的フィードバックを得られます。
p.95
感覚と視覚の同時発生。
被験者の左手とテーブルを、同時に不規則に叩きます。このとき、テーブルだけ見せて、左手は見えないようにします。数十秒すると、テーブルが手になったような錯覚を起こします。この錯覚を起こすのは被験者の半数くらいです。

「画像の解釈」
p.103
ネッカーキューブ
 立方体の結晶の顕微鏡像を見ていると、手前と奥がチラチラ反転して見えます。
一つの像に二つの解釈があるとき、こう見えます。

「画像の分析回路」
p.111
目から入った視覚情報は、古い回路と新しい回路に分かれます。古い回路は頭頂葉に行く『方位』回路です。
p.115
新しい回路は更に2つに分かれて、耳の上方の『いかに』回路と、こめかみの奥の『何』回路とに分かれます。
 見えると意識できるのは『何』回路のみです。『何』回路は、同時に30種類の分析をします。輪郭や色、質感などです。更に知っているものと比較して、何を見ているか判断し、同時に感情も誘発します。
 他の2つの回路は見えません。古い『方位』回路は注意を向けるべき方向を特定し、そちらに目を動かします。新しい『いかに』回路は、自分の周辺の空間を判断し、的確に動き回れます。見える回路が失われて視界が真っ暗でも、目の前の物を的確に掴むことができます。
 これらの情報が統一されて認識できるメカニズムは『結びつけ問題』と呼ばれ、未解決とされています。

p.129
「盲点への画像の書き込み」
 盲点には自動的な『知覚』でテクスチャが書き込まれます。事故で大きな盲点を持った人に、盲点をまたぐ図形を見せると、テクスチャの書き込みに数秒かかります。この人に動画で、最初は黒い画面、次に一転して赤い画面に黒点の点滅を見せると、盲点の部分では切り替えから少し遅れて赤が流れ込み、次に黒点が現れ、最後に黒点の動きが見えます。また、人の頭を盲点に合わせると書き込みは起こらず、頭が消えて見えます。頭があるはずという『概念』では書き込みは起こりません。

p.165
「鏡像問題」
ファインマンの答えを支持しています。

p.169
脳内ゾンビの「鏡失認」
 鏡を見ている2歳の息子に、背後から飴を映して見せると、一瞬で振り返ります。『いかに』回路が鏡と飴の位置関係を割り出しているようです。
 左側無視の患者は、自分の左側にあるペンの鏡像は、鏡の方に手を伸ばします。自分の右側だと後方のペンは取れます。脳内に存在しない左側だけ、鏡像と自分との位置関係が分からなくなります。

「疾病失認」
p.182
 現状維持の左脳と改革の右脳。脳は、整合性のあるストーリーを後付けで作ります。左脳はストーリーに合わない情報を却下します。重大な矛盾情報が入ると、右脳がストーリーの変更をします。
p.192
 右脳に損傷を受けると、左手が動かなくても「動いている」と嘘の記憶に書き換えます。左耳に冷水を入れると、「数日動いていなかった」と封印していたはずの記憶が甦ります。

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『多重プロセス理論』(高野説)及び『左右軸の従属性』(多幡説)と比較します。ラマチャンドランの鏡箱に関しては、どの見方をしても左右反転すると紹介したので、割愛します。

『視点反転』
 しません。あくまで、自己視点です。

『表象反転』
 『何』回路が、記憶と比較します。文字や他人の顔の反転がこれにあたります。

『光学反転』
 『いかに』回路が、見えている像とは別に、感覚的に判断します。鏡が横並びだろうが、向かい合っていようが、特に意識されません。

☆『左右軸の従属性』
 自己視点なので、鏡像の左右は意識しません。

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 この本の話題と、今まで紹介した見え方を比較します。

「画像の分析回路」
 小亀説では、直感的に自己視点から左右を判別します。自己像はあくまでも自己像、見たことのあるもののうち『有基準の物体』のみが左右反転します。自己像は『いかに』回路、それ以外は『何』回路で見ていると解釈すれば、鏡を見ただけで脳の秘密の一端に触れられることになります。
 逆に、多幡説では座標系を多用しています。対象物に座標系を当てていく作業は、脳としては訓練の必要な、高度な作業と思われます。
 高野説では、鏡の見え方を『制御的な心理過程』と『自動的な心理過程』に分けていますが、「画像の分析回路」は100%『自動的な心理過程』です。

「疾病失認」
 脳は、同時にいくつかの認識を持っていて、どれかを選んだものが表層意識になるようにも捉えられます。左右反転か前後反転かなどの知覚が、清水友紀氏の調査のように、知識からの先入観で変化するものなのか気になります。

「虹と雪、そして桜」より
「実物の自分は右手を動かしてるのに、鏡の中の自分は、"左側についた右手"を動かしているように、みえる・・・」
と、ずいぶん混乱した見え方を提示しています。この見え方について、

「二つの感覚の同時発生」→
 自分の右手を動かす感覚と、動いて見える視覚の同時発生で、鏡像の動く部分を自分の右手と判断します。
「画像の分析回路」→
 『何』回路が自分の全体像を、『いかに』回路が右手を、それぞれ部分的に知覚していると思われます。
「疾病失認」→
 表層意識が無理な整合をやめれば、実際の感覚はこうなのだと思います。


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 その他の感想です。
 面白いです(@o@)

「盲点への画像の書き込み」
 脳が自動で書き込む場合、順番があるようです。鏡像を認識するとき、『何』か『いかに』か選ぶのは、自動なのか意識して選んでいるのか気になるところです。
  片目をつぶって、視界の盲点のあたりに指をかざし、そこに人の頭が入るとで頭が消えてしまうという遊びを紹介していました。頭の位置から、自動的に上下を優先して認識するという予想は外れかもしれません。少なくとも、脳的には頭は重要ではなさそうです。

「鏡像問題」
 ファインマンの答えがどんなだったかは書いていませんでした。高野陽太郎先生の本の附章によれば、ファインマンは「鏡映反転を心理的な問題と考えていた」と解説しています。

「二つの感覚の同時発生」
 これが鏡像として重要だった場合、等身大写真と鏡像では、全く認識が変わります。

「画像の解釈」
 いくつかの見え方が同時に感じられるのは、脳の働きからのようです。鏡像が反転したりしなかったりして見えるという記事は無かったので、関係なかったかもしれません(^^;

 この本には書いてありませんでしたが、左右反転鏡を見た場合、反転を感知するのは『いかに』回路かもしれません。よく見なくても違和感があります。



参考:
V・S・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー、(訳)山下篤子(1999). 『脳のなかの幽霊』角川書店

脳のなかの幽霊 V・S・ラマチャンドラン:一般書 | KADOKAWA
高野陽太郎(2015). 鏡映反転--紀元前からの難問を解く[附章], 岩波書店

鏡映反転 - 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/files/0052480/appendix.pdf
過去の記事:
[鏡の反転] 答え合わせ 高野陽太郎 (心理学者)
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