魔女の小さな冒険

魔女のちいさな探検

ゆっくりゆっくり進みます。

答え合わせ 清水友紀氏(実験心理学?)

 清水氏が学生のときに行ったアンケート調査です。氏の見え方は書いていません。

 鏡に映ると「上下は反対に見えないのに、左右だけが反対に見えるのは何故か?」という問いに対して、左右反転の判断基準を紙面調査しています。調査では実際の鏡は使わず、鏡と向き合った時を想像して書いてもらいます。予備調査では、口頭質問もしています。
 
1.高野実験の追検証
2.左右判定の根拠
3.想像した場面

 予備調査より判断の理由は、
「左右が逆になっている」[70%]
(1) 鏡の話だと分かった瞬間、左右が逆だというイメージが浮かんだ。55%
(2) 鏡の中に人がいると考えて、映っている右手は鏡の中から見たら左手になるから。(視点反転、高野説)38%
(3) 右手を挙げた時そのまま鏡を見たときは、確かに右手は右側に映っている。しかし隣に並べて考えると、鏡に映っていた方は左手になるから。(左右軸の従属、多幡説)本調査では上の設問と統合か?
(4) 右手を動かすとなったとき、他人と対面している場合は自分から見て左側が動くが、鏡の場合は自分の右側が動く。(表象反転、小亀説)5%

「なにも逆になっていない」[25%]
(5) 自分の右手を動かしたら鏡像の右側の手が動くこと。(自分の鏡像は特別、小亀説)60%
(6) 例えば右目がおかしいと感じて鏡を見たときに、そのまま自分から見て鏡の右側に映っている目を見れば良いから。(無基準の物体、小亀説)本調査では上の設問と統合か?
(7) それぞれの選択肢を考えていって、消去法で選択したから。14%
(8) そのままで何も逆になっていないと思う。(光学反転、小亀説)13%

「その他」[5%]

 ()内は、高野説など既出の見え方です。最後につけた[%]は、本調査での結果です。また、左右判定の根拠の最後につけた%は、本調査のそれぞれの見え方での内訳です。本調査では質問の文脈が変わっている(おそらく統合している)ため、無くなっている部分があります。

 また、予備調査で想像したシーンは、
・服を選んでいるところ
・髪をセットしているところ
・実家の洗面台の前に立っているところ
・想像しない 29%
です。

 本調査では、更に、判断の視点を『内的視点』『外的視点』と分類、選択させています。
『内的視点』自分の実像が見えない視点を想像する
『外的視点』鏡像と自分を両方見ている第三者の視点を想像する

 結果は、左右が逆の場合『内的視点』:『外的視点』=3:5ですが、左右が逆ではない場合0:1でした。

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 調査した見え方を、『多重プロセス理論』(高野説)で整理します。
 比較に『左右軸の従属性』(多幡説)も追加します。

『視点反転』
(2) 鏡の中に人がいると考えて、映っている右手は鏡の中から見たら左手になるから。(制御的な心理過程)
(3) 右手を挙げた時そのまま鏡を見たときは、確かに右手は右側に映っている。しかし隣に並べて考えると、鏡に映っていた方は左手になるから。(制御)

『表象反転』
(4) 右手を動かすとなったとき、他人と対面している場合は自分から見て左側が動くが、鏡の場合は自分の右側が動く。(制御)

『光学反転』
(5) 自分の右手を動かしたら鏡像の右側の手が動くこと。(制御)
(6) 例えば右目がおかしいと感じて鏡を見たときに、そのまま自分から見て鏡の右側に映っている目を見れば良いから。(自動的な心理過程?)
(8) そのままで何も逆になっていないと思う。(自動的な心理過程)


その他
(1) 鏡の話だと分かった瞬間、左右が逆だというイメージが浮かんだ。
(7) それぞれの選択肢を考えていって、消去法で選択したから。

☆『左右軸の従属性』
(2) 鏡の中に人がいると考えて、映っている右手は鏡の中から見たら左手になるから。
(3) 右手を挙げた時そのまま鏡を見たときは、確かに右手は右側に映っている。しかし隣に並べて考えると、鏡に映っていた方は左手になるから。

結果
 (1)の、知識で判断する人が非常に多かった。
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 その他の感想です。
 まず、反転して見えるはずだと思い込みでの回答が1位だということが驚きでした。人は知識によって、認知が変わったり、余計なことを考えなくなったりするものだと再認識しました。また、想像したシーンが、他人との対面に結びつかないものばかりなのに反転して見えるというのも驚きました。他人の感覚は、想像できないもののようです。
 実際鏡の前に立つ実験はしなかったようです。もし、左右反転鏡の前に立った場合、「左右反転する」と回答する人と「しない」と回答する人がどれくらい入れ替わるのか、気になるところです。私は反転鏡を見ると、左右反転して見えます。

 『内的視点』の考察について。『表象反転』は明らかに『内的視点』でしょう。『視点反転』に関しては『外的視点』でも『内的視点』でも向こう側に回り込めます。例えば、自分が鏡像の視点を取れば本当の自分と向かい合うので、『外的視点』です。鏡像が服だと思って空想の右手だけを向こう側にまわせば、自分は見えないので『内的視点』です。また、鏡像を人形のように回す想像をしたら、『内的視点』です。『光学反転』の場合には、『外的視点』では前後反転に見えますが、『内的視点』では右手を動かす感覚と鏡像の右手が一致するので、なにも反転しません。見え方をさらに詳しく分類できそうな期待が持てますが、調査はここで打ちきりなので残念です。

 本文中では、「右手を動かすとなったとき、他人と対面している場合は自分から見て左側が動くが、鏡の場合は自分の右側が動く。」は左右反転して見えるに含まれていましたが、小亀説ではこれを、左右反転しない違和感としています。同じ見え方なのに左右反転に思えたり反転しないように思えたりするというのは、いかにも心理の問題です。

 予備実験の口頭調査で、いろんな意見が出ていましたが、この言葉の意味を私が正しく読み取れているのかが不安です。文系力の無さを感じました。

参考:
清水 友紀・古田 貴久 (2011) 鏡映反転判断における視点の役割 群馬大学教育学部紀要 芸術・技術・体育・生活科学編 46 , 161―170.
https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/6074/1/12_SHIMIZU.pdf